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散髪脱刀令

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 明治4年の太政官布告です

「散髪制服略服脱刀随意ニ任セ礼服ノ節ハ帯刀セシム」という文言だったようです


 単純に読めば、

 「散髪すること、正装略装、帯刀することは随意。ただし礼服を着用する際は帯刀しなければならない」という意味になり、

 ・髪型は自由

 ・武士だからと言って帯刀しなくともよい

 ということなんですね。


 結局、髪型については本人の自由に任されるという形に法令上はなっていて、これ以降、丁髷禁止とか、散髪強制は出いてません。


 ただし、廃藩置県で地方政府が廃され中央から新政府の知事が各地に赴任すると、地方締め付けの手段として「散髪強制」が行われ、一揆やその取り締まりで騒乱罪が適用されて死刑になるものもいた,,,ということのようです。


 ちなみにこの散髪脱刀令は男性の髪型を対象とした法令であったわけですが、女子も散髪すべきであると誤解があり、女性が男性同様の短髪にすることがあったようです。

 東京府では翌明治5年に「女子断髪禁止令」を出しています。

 一度切った髪は元に戻らないため、髪が伸びるまでの間、警察の証明書を持ち歩かねばならなかったとのこと。



 帯刀については同年12月に平民に対しての帯刀禁止が発せられましたが、士族は帯刀は許可されていて、これが禁止になったのが明治9年の廃刀令で、

 ・大礼服着用者

 ・勤務中の軍人

 ・警察官吏

以外での帯刀が禁止されました。


 教科書的に言えば、以降廃刀令を起因とした士族の反乱が相次いだとなりますが、平民にも混乱があったようです。


 江戸時代からの慣習で、旅や年始の挨拶での帯刀、また結婚や葬式の際に脇差を差す習慣があったようで、明治4年の散髪脱刀令の際は礼装として許されていたようですが、この明治9年の廃刀令でこれも禁止され、平民の摘発事例が見られたとのこと。



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