日本軍と戦った最後の空軍兵士
第二次世界大戦中に日本の侵略者に対抗した、最後のタイ航空兵が102歳で死亡しました。
あまり知られていないことですが、1941年12月8日、真珠湾攻撃を行った同じ日、日本軍はタイに上陸侵攻しました。
上陸地点はプラジュアップキリカーン、、、フアヒンがある県、、、の海岸線で、タイは、王国空軍 第 5方面部隊が中心となり、侵攻を防ごうと行動を起こしましたが、多勢に無勢、タイ側は航空兵、警察官、民間人に42人の死亡者が出たとのこと。
タイ空軍は102歳で亡くなった元航空兵に哀悼の意を表し、葬儀は王室後援のもと執り行われるようです。
タイに侵攻した日本軍の攻撃目標は英領ビルマorインドで、マレー半島の先端シンガポールが英支配下にあるため、マレー半島を陸路横切る侵攻作戦とし、その橋頭保となるプラジュアップキリカーン県Ao Manao beachに上陸しました。
なお、毎年 12 月 8 日には、Ao Manaoの戦いで亡くなった 42 人のタイの航空隊員、警察官、地元住民を追悼する追悼式が行われているそうです。
バンコクポストの記事からの要約ですが、読者は英米人であり、「戦場に架ける橋」のイメージで、日本軍=侵略者、、、ある面事実ですが、日本のことを厳しめに書いています。
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