タイ国内旅行13 メーホンソンミャンマー国境の旅⑫
クンユアンの日泰友好記念館
ネット検索すると世界でいちばん友好的な記念館とあります。
当館は当地の警察署長が、日本軍の遺品が散逸するのを憂い、各民家に残る関連品を集めて、成立したもの。日本人が関与していたようには思えない説明もありますが、戦争博物館にしては、ずいぶんと日本贔屓です。
最初に映画を見るのですが(日本語&タイ語バージョン)、どれだけ日本がひどく言われているのかビクビクしました。
ナレーションでは、当地の山岳民族シャン族はタイという国に区分けされたが、自主自律的に生きてきた。日本軍がやって来て、その後、ビルマインド方面への侵攻したが、日本人とタイ人は友好的な関係に終始した。日本軍は悲惨な最後ではあったが、日本軍の道路整備等でその後、当地は発展したことを説明しています。
一般に、被差別的な扱いを受けていた山岳民族は、日本軍に対し協力的であったと言われていますが、まさにそんな感じではあります。
道路際正門の表示
外国人、、、多分日本人メインでしょうが100B
タイ人は20B
なんでビルマやインドまで侵攻したのでしょう。大東亜共栄とかでインドまでは行かざるを得なかったのか、戦線が伸び過ぎ。多分正面切って英国範囲のビルマインドシンガポールに手を出さなければ、状況は違っていたのかも。
クンヤムとあるのが記念館のあるクンユアン、下にメーサリアン、上にメーホンソン。右の方で矢印が集まるところがチェンマイです。
解説では、タイ中部ではカンチャナブリ方面からのビルマアクセスは鉄道で、すなわち泰緬鉄道。当地北部は自動車での輸送計画であったとのこと。この道づくりに、タイ人が協力したようです
寺院に野戦病院が設営されたようです
写真に写っている看護婦が日本人なのか、タイ人なのか小生には見分けられません
タンカ、最初の頃は負傷した兵士が運ばれたようです
歩けるものだけが助かった。
自分たちが作った道を敗残兵として、タイに戻ってきた
戻れない人も
山中で発見されたトラック。多くのトラックが打ち捨てられたようです。
燃料切れでしょうか
日当1.5B、工夫頭2-3B、一回7ー10日。
駐留指揮者は中尉。上級将校は何やっていたのか?
日本人とタイ人の悲恋。描かれ方が、双方向的
当館はこの基調で統一されています
こういう変な表示も
宣戦の詔勅なんですが、解説は日本の降伏文書とあり、誰か言ってあげればいいのに
入館時、小生1人。日本友好館なんて、来る人いないよなって感じでしたが、滞在中、10人以上のタイ人が来館、イヤイヤ、街最大の観光スポットです
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