タイランド湾を見て暮らす・パタヤコージーライフ

Pattayaでのリタイヤライフです。旅行/日常生活/ゴルフ/鳥見/タイ語学習

Phrathat Ya Khu

創建は、ドヴァーラヴァティー王国(6世紀~11世紀)時代。
西遊記の玄奘三蔵が、「堕羅鉢底」と訳したタイにあったモン族の王国の時代。


結局、よくわかっていないようで、考古学遺跡として残っている文化様式があり、
中国の歴史書に書かれている記述から国の形態が類推されていて、
18世紀に堕羅鉢底を音訳してドヴァーラヴァティーと名付けられたというもの。


結局、現在タイの過半を占めるタイ族は、中国奥地から現在のタイに南下してきたという
タイから見れば侵略者であり、先住民族の文化については、深く研究がなされていません。

プラサート・ヤクー、この場合のプラサートは古い寺院という意味。
寺域は広そうですが、現時点で残っているのはこの仏塔のみ。


創建は上記のようにドヴァーラヴァティー王国時代なのですが、仏塔の様式は、
ハスの花を形どった八角形のアユタヤ朝時代のもので、古い仏塔の様式ではありません。
ある面、洗練された塔ではあります。


解説板によれば、アユタヤ時代に古くからの塔を作り替えたとのこと。
アユタヤ朝は中央集権ではなくて、各地の王から推戴された「王の中の王」でした。


その後、逐次力をつけ、ここガラーシン県はアユタヤから500㎞ほどの遠隔の地ですが、
ここにもアユタヤ朝の権力が及んでいるのだ、、、ということを示すためだったようです。


日本も、戦時中、占領地域に日本風の神社を作りましたが、同じ発想ですね。

仏塔の周りには、八方向に結界石が置かれています。
タイ人の王朝であるスコータイ朝の頃から見られるもの。
これもドヴァーラヴァティー時代になく、宗教的にアユタヤの支配を明示しています。

仏像が見られる結界石。これはこれで珍しいものです。