タイランド湾を見て暮らす・パタヤコージーライフ

Pattayaでのリタイヤライフです。旅行/日常生活/ゴルフ/鳥見/タイ語学習

ホーチミン仮寓の地

ナコンパノムの街から3㎞ほど奥まったところに、
ベトナム建国の父ホーチミン仮寓の住居跡があります。


ホーチミンについては人格的には尊敬すべき人と思っており、
近くを通るのでという感じで立ち寄り。

ホーチミンは、フランス留学の後、宗主国フランスからの独立を図り、国内でフランス官憲
に目を付けられ、タイに渡り1年ほどこの地に仮寓。
ベトナム→タイと聞くとなぜ?という感じもありますが、陸路をとればラオスを経由して
120㎞程の距離。歩いて5日もあれば、ベトナムから来れます。


当時、ラオスもフランス統治下だったので、メコン川を渡った対岸のナコンパノムで
あれば、フランスの勢力拡大に危惧するタイ王朝の地であり、それなりに便宜を図る人
もいたのでしょう。

今から90年以上前の住居と思えば、ぜいたくな造りの建物です。
ベトナム南部によくありそうな建物ではあります。

ベトナムで何度も見た写真が飾られていました。
英語、ベトナム語、そしてタイ語でキャプションは書かれています。


今現在、ベトナム人にとって、ラオスは属国的な感じであり、ラオスで働くベトナム人も
多そう。川を渡ればここに来れるので、ベトナム人の訪問も多いのでしょう、、、


結局、旧北ベトナムは貧乏な国で、民族統一という妄想(決して同じ民族ではない)で、
豊かな南ベトナムを征服し、富を自分たちのものにして、半世紀ほどたった今でも、
南の人からの搾取で旧北ベトナムが君臨する現ベトナムは成り立っているという構図、、、


世界各地の人が、日本も例外でなく、北ベトナムの南ベトナムへの侵攻を心情的に応援し、
べ平連などという組織を作り、歴史背景を理解しない学生たちが、極東でワーワーやって
いたというのがいわゆる日本の学生運動だったわけです。


旧北ベトナムの野望が世界的に理解されたのは、ベトナム戦争終結後、統一ベトナムが
隣国カンボジアに侵攻したあたりから、、、


そういう認識というか共感を作り上げたのが、ベトナム初代大統領ホーチミンです。


ただし、歴史を見れば、インドシナ半島は、
ある時期はカンボジアに王朝を作ったクメールが、
ある時期はタイのスコータイ/アユタヤが、
またある時期はビルマが、そして歴史上一番最後はベトナムが、
他国を侵略して富を奪ってきた歴史があるわけで、最後のベトナムの記憶が生々しく
残っているだけなのかもしれません。

緑に囲まれたいい住居ではありました。