Prasat Ku Ban Khwao
クメール帝国支配下の頃、アンコールワット近くから帝国内に道路が通され、
主として官人が用務で移動する際の休憩地として建設されたもの。
病気治療等を担ったAROKAYASALAと呼ばれる施設。タイ国内での第19号遺跡。
塀に囲まれたもの、入り口部を見ています。
本来であれば、石積みアーチを有する屋根があり、通路両脇に副室もありますが、
基部が残存しているのみ。
入り口部から見たもの。
解説板によれば、クメール王朝のジャヤヴァルマン7世の頃、10-11世紀の遺跡とのこと。
AROKAYASALAは同じ設計図で作られので、復元も容易な遺跡であり、
約1000年間、このままの形で存在していたかは不明。
祠堂左に仏像が見えますが、これは近世(or現代)のもの。
積み上げた石と石の間に相当な隙間があり、凸凹もしています。
原型がどうだったのか?
ひょっとすると漆喰等で塗り固められていた可能性もありますが、現時点で勉強不足。
後ろ側。
何となくそれ風に見えますが、、、お約束だと「偽扉」という見せかけの両開きドアが
意匠としてあるはずですが、定かではありません。
クメール帝国の宗教はヒンズー→仏教→ヒンズーと変遷したようで、、、、というか、
仏教も広く言えばヒンズー教の一種だったみたいですけど。
これはヒンズー教時代の遺物。
女性器を表現したもののようにも見えますし、
真ん中の穴に石の棒を立てて男性器に見立てたり、、、という代物のようです。
入って左手には経堂があります。
構造として全部が石造りだったのか、あるいは高さ1m程度までを石造りとして、
上部は木造だったのかは不明です。木材を仕組んだ穴等がないので、
全部が石造りだったのかなと思う反面、どの遺跡も屋根が残っていないので、不明。
経蔵の内部。涅槃仏が横たわっています。これは多分、今の人が設置したものでしょう
塀の石材もしっかりと残っています。
日本だと後の支配者が城の材料にと持って行きそうですけど。
石材転用も実際はあるのでしょうが、そういった経緯を解説した本が見当たらないので不明
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。