投げ込み寺 浄閑寺
今朝の散歩の目的地は浄閑寺。
ホテルから往復8㎞ほど、直で3.5㎞。
朝の散歩としてはちょっと重量級。
帰りは吉原に立ち寄りましたので。
新吉原総霊塔。身寄りのない遊女、博徒等の霊を祭った塔。
場所的には浅草寺から3㎞ほど。周辺は吉原田んぼと言われたくらいで、まさに葦原。
あるのは寺院ばかりだったようですが、身寄りのない遊女の亡骸を引き取る寺院など
なかった中で、この寺が歴代引き取って供養していたわけです。
生まれては苦界 死しては浄閑寺。
売春防止法が公布されたのが昭和31年。
碑の建立は昭和38年だから、建前的には吉原の苦界が無くなってから。
傍らに立つ荷風碑。
建立年月をみるとこちらの方が半年ほど早く出来ているようです。
荷風死後丸3年の命日を記して建立とのこと。
谷崎潤一郎ほか42名によるもの
「娼妓の墓乱れ倒れ」(昭和12年6月、日記より)
現時点で見れば、細かく区切って一般の人たちの墓が林立している墓地ですが、
昭和12年だと、吉原遊郭の娼妓たちの墓があったのでしょうか。
「杖を曳いて」と、老境に達した荷風がここまでよく来た、、、という記述に、
健脚だなと思いましたが、当時なら都電が前を通っていたわけで、ここまで歩いてきたので
はなさそうだと思いいたって、一人納得。
荷風碑 お墓ではありません。
傍らに、「詩碑」があります。
詩碑については長くなるので別稿で。
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