タイランド湾を見て暮らす・パタヤコージーライフ

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曽我物語 補

 私はいわゆる理科系ですが、高校は地方の県立高校でのんびりした校風であり、理科系で
も日本史、世界史、倫社政経、地理、、、とすべての授業を受けていました。


 大学入試では、単純に好きだからという理由で日本史世界史を選択しましたけど、
歴史2科目は理系受験生には非常に負担の大きな科目で、理系でこういう組み合わせを
選んだ受験生は非常に少なかったと思います。


 結果、見事に浪人し、駿台予備校に通いましたが、浪人後も、社会の選択項目は変えずに
世界史日本史選択のまま。実は本番の共通一次試験の後で、倫社政経の問題を解いた
ところ、勉強していなかった割に9割以上の正解で、効率という面でいえば日本史世界史
選択は失敗だったかな、と。
 ただし、当時の自分としては尖ったところがあり、歴史を学ぶ方が人生が豊かになると
思い込んでいました。


 駿台でも日本史世界史の講義は熱心に出ていました…大教室で10人くらいしかいません。
 やはり理系コースなので、そもそも日本史世界史など選択しませんし、多分、私以外は
文系コースの人が出ていたような気がします。

 人数が少ないということもあるのか、講師も今思えば、これで大学受かるの?という
授業内容で、世界史の先生はチンギスハーンのことばかり話していましたし、日本史は
「曽我物語を軸に鎌倉時代を解説する」というような講義で、当たり前ですが、
曽我物語の人物構成とか時系列など、絶対に受験には出ません。大学での講義を予備校で
やっているという感じでした。


 でも面白かったですね。講師の板書を細かくノートに取ったことを記憶しています。
 歴史2科目を選択することによる得点の減と時間の浪費?を考えると、息抜きというには
代償の大きなことでしたけど。


 大学に無事入学して、歌舞伎座とか国立劇場へ歌舞伎観劇に週1ペースくらいで通うこと
になるのですが、歌舞伎の主題に、曽我物語はたびたび取り上げられていたので、親近感を覚えたものです。


 これを書いていて、ふと気が付きましたが、曽我って蘇我から来たのかもしれませんね。
 大化の改新、いわゆる乙巳の変で、蘇我入鹿を宮中で暗殺した事件ですが、蘇我一族は
この時点で消滅したかというとそうではなく、実際、暗殺した側にも蘇我石川麻呂がいた
わけですし、文献によれば、その後蘇我氏は、中枢を担う貴族ではなかったものの中級官僚
として命脈を保ったようです。


 千葉県には蘇我というJRの駅があり、近くの蘇我神社は蘇我氏と所縁を持つとの伝承が
あります。蘇我が曽我にかわることは、日本ではよくあることなので、関東の武士集団に、都の中流貴族である蘇我氏末裔が下っていたことはありそうな話ではあります。


 曽我物語は、物語世界として鎌倉頼朝の時代を借りていますが、ひょっとすると、曽我→蘇我で乙巳の変をも念頭に入れていた、、、なんて考えるとどんどん面白くなっていきます。