日本軍の敗走路?
ネットで拾った地図です。
コメントとして、日本軍がビルマからの敗走路として1945年初に建設したMergui 道路
あまり知られていない事実ですが、米国への宣戦布告後、真珠湾攻撃がなされた日に、
日本軍はタイに上陸し、バンコク方面に北進します。名目上は、居留民保護です。
緒戦、日本は破竹の進撃だったこともあり、タイには日本よりの政権ができ、
タイは日本に全面協力しました。
日本軍の目的はイギリス統治下にあったビルマで、
中部からは泰緬鉄道で、北部からは陸路道路でビルマに侵攻しました。
MerguiはGoogle マップには Myeikとある町のようで、タイ側の街はプラジュアップキリカーンになります。
タイ側の起点プラジュアップキリカーンですが、実は日本軍が最初に上陸した港町です。
経路的にはビルマ侵攻緒戦でこの道が作られビルマに攻め込めばよいように思えますが、実際はそうならなかったようです。
政治経済の中心であるビルマのヤンゴンやマンダレーには、協力関係にあるタイ国内を
移動して、タイ中部タイ北部から直接ビルマに入った方が、経路的に短かったので、
この道路についての資料はあまり残っていません。
衛星写真を見ると、Negyadaung Passという峠があり、細々とした道があります。
冒頭の地図を見ると、かつてのビルマ⇔タイの国境線はこの峠付近にあったようです。
沿道を見てもほとんど集落がありません。
冒頭の資料には、Merguiは1943年にオーストラリア兵3000人で勝利したとあります。
オーストラリアあるいは英国として、兵力や物資の移送を考えればマレー半島を廻った
方がはるかに効率がよかったと思います。
大戦末期で、ビルマ各地で取り残された日本軍としては、タイに戻るルートとして、
あるいは「敗走路」として、連合軍側の拠点を避けてこんな山道に橋を架けたり、
道を広げて戻るしかなかったのだと思われます。
今から70年前の日本敗戦前夜、人が徒歩で通る分には、タイ⇔ビルマの陸路経路は数多く
あったのでしょうし、そのうちのひとつではあったのでしょう。



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