以仁王
最近いろいろとすっきりとわかったことがあり、一通り、歴史を勉強し直してよかったと思っています。
以仁王の令旨、将軍と将軍家、摂関家、古代の天皇、信長の革新性、、、など、前々から持っていた疑問が解消し、あるいは事実として教え込まれていたことが実はそうではなかったようだとわかるなど、いつまでたっても学ぶことはあるなと。
◎ 以仁王の令旨
例えば、頼朝挙兵のきっかけとなったとされる「以仁王の令旨」ですけども、明確な事実は初めからあったのに、それになぜ気が付かなかったのだろう、、、。
以仁王は後白河天皇(法王)の息子ですが、以仁親王ではなくて以仁王なんですよね。誰も以仁親王などという人はありません。
一般に天皇の息子は親王で、以仁王当時は4世までは親王、それ以降は王になるとされていました。
しかし以仁王は後白河から親王宣下を受けていません。単なる「王」なんです。
理由としては母方の関係者が政争に敗れて失脚されたからとも、、、
そういった中、以仁王は「令旨」を出して平清盛を討てと命令したわけですが、令旨を出せるのは親王であり王は出せないものなんです。
だから「以仁王の令旨」とした時点で、偽書?あるいは何の権限があって王が令旨を出せるの?と疑問が生じるわけです。
頼朝が「以仁王の令旨」を受領してもなお反平家の行動を起こさなかったのは、第一にはこの令旨なるものが胡散臭かったのでしょうね。
ただし歴史は正しいとか正しくないということでは動いておらず、時には大きな流れがあってこの何ら権威/権限の無い「令旨」が反平家のよりどころになったというのは変わりありませんけどね。
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