室町時代の「乱」
私が歴史を学んだ頃は、まだ戦前の影響が残っていた時期,,,
戦前は皇国史観すなわち「天皇第一」だったので、後醍醐を裏切って政権を作った足利尊氏以下の歴史は、歴史家が研究していませんでした(できなかったともいえる時期)。
敗戦で歴史家の呪縛が解けて、室町時代の研究が進展しましたが、教科書レベルの歴史は20年とか30年経って書き改められるので、そういった意味で私が学んだ頃、室町時代の記述そのものが非常に少なかったと思います。
また敗戦直後、一部の歴史家はイデオロギー的に随分と左に振れ、何でもかんでも階級闘争として歴史を解釈しようと、文献資料等を読み込まずに「歴史はこうあったはず」というマルクス史観が幅を利かせた時代もありました。
いま、戦後80年近く経って、文献資料を基に真面目に歴史解釈してきた成果がどんどん出てきているという状況。
上記は個人的に取りまとめている室町時代の乱。
① 左が室町時代初期から応仁の乱まで
② 中が応仁の乱から室町幕府崩壊まで
③ 右は主として鎌倉府周辺でのもの
太字は概要が述べられる程度には理解したもの
まだ過半が残っていますし、項目としての漏れもありそうです。
室町時代は、応仁の乱前後で特に幕府の影響力が大きく変わります。
乱の前は幕府=将軍と守護との関係で争いが起きています
乱以降は幕府政権内の管領家とその分家あるいはその家来筋との争いになります。
応仁の乱そのものも、我々が一般常識的に理解しているものと随分と変わりました。
また上の図は「鎌倉府」で切り分けていますが、私が学生の頃って、鎌倉府のことって学んだかな?
あるいは組織図としては存在を学んだかもしれませんが、鎌倉公方/古河公方/堀越公方,,,他の公方もいますがそういったものまで学んだ記憶がありません。
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ちなみに右側の「享徳の乱」は26年間戦乱が続いています,,,
この間に応仁の乱が始まって終わっています。
応仁の乱は京都が戦乱の場になりましたが、享徳の乱では関東平野の全域が戦乱状態。
名前くらいは知っている太田道灌が主要人物ですし、南総里見八犬伝はこの時代の設定となっています。
室町時代はまだまだ新発見資料が出てきています。
それらが研究されれば違った見た方がなされるのかもしれません。
私が読むのは新書レベルの書籍がせいぜいですが、勉強したいと思っています。

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