具注暦(ぐちゅうれき)
平安時代の貴族が日記を付けて有職故実を子孫に伝えていたという話は大学受験日本史としては平均レベルの知識,,,
では日記って、いわゆる日記帳があったのか?というとそういうものはなく,,,というか平安時代は紙が貴重品だったので何に書き留めていたのか?
暦の余白だったようです。
その暦は「具注暦(ぐちゅうれき)」と呼ばれていた,,,
「当時の暦って具注暦だっけ?」と疑問。
江戸時代に、天文現象を観測して貞享暦が作られた,,,というお話は、小説「天地明察」などにも書かれていて、天文学に情熱を傾ける江戸時代人に感心したものですが、確かそれまであったのは「宣命暦」であったはず。
いろいろ調べていくと、平安時代の暦は確かに宣命暦。
ただし暦の活用版として、陰陽寮で具注暦が発行(手書き筆写)されて天皇各貴族に配られていたとのこと。宣命暦から予測される天体の動きとか二十四節気とともに、日の吉凶とか運勢判断が書き込まれたものであったようです。
注が具(つぶさ)に記入されているということで具注暦と呼ばれていたようです。
具注暦は日時の順で並んで書かれていますが、1日ごとの間には隙間が残されていたようです。具注暦を受取った各貴族は、その隙間に宮中での行事予定などを書き込んで備忘に使っていました。
貴族たちが日々の行動を決める時に暦に従って吉凶を判断していたために、貴族は日々暦を愛用していました。その日が終わってしまえばその日の暦のページは不要のものになるため、暦の余白に日々あったことを記入していたとのこと。
ちなみに平安貴族は翌日の朝、前日の内容を振り返って日記を付けていたようです。
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