タイランド湾を見て暮らす・パタヤコージーライフ

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タイ国内旅行12 スパンブリ線完乗+アユタヤ④

スパンブリー→アユタヤは、目指したローカルバスは運行されておらず、ロットゥー(ミニバン)で移動。アユタヤのロットゥー乗り場は前回宿泊したアユタヤホテルの前であり、勝手知ったる場所。11時過ぎ、遅い朝食を市場でとってアユタヤ駅前に移動し、バイクをレンタル。アユタヤの町はずれ東側エリアの廃寺巡りに出発。
 日曜日でしたけど、観光客は町中の遺跡を見るらしく、川向うに当たる今回エリアでは観光客を数人見かける程度。廃寺を10か所以上、保存状態は千差万別ですが、遺跡巡りを堪能。観光客がいないので、遺跡を独り占めしている思いがあり、その分、感慨も多くなります。
 バンコク方面の国鉄は15時半過ぎだったので、最後の1時間は街の南郊外、「日本人村」へ。山田長政らが常駐した集落で800-3000人の日本人が住んでいたとのこと。

本当はこんなバスに乗りたかったのですけど

パッタイクンソット(新鮮エビの焼きそば) ちょっと物足りない量

ということで、ソーセージ。肉とご飯が詰まったもの、長い方で1本40B。美味かったです。

船で対岸側へ、対岸に駅があり、駅前にレンタルバイク屋が数軒。橋は1橋しかなくわたるのが面倒なので、今日は対岸側東側のみを回ることに

レンタルバイクは、例によって、メーターは全く動かず。満タン返しなのですが、燃料メーターも動きません。いつ燃料切れになるのか、不安ですね。シートが中折れで、前方側に傾斜しているので、どんどん前にずれてきて、ちょっとのりずらかったですが、バイクの性能としては申し分ありませんでした

保存状態が非常に良い仏殿。例によって、仏様は跡形なく破壊されていますが、建物の外郭はそのまま残っています。ギリシャ神殿もそうですが、屋根は木造のようで、無住になると壊れてなくなります

壊れた仏像を寄せ集めて、新たに小さな仏様を作って祭っています

宝輪ですね。スポーク状のものが8本あります

最初見たとき、不同沈下なのだと思いました。

解説によると、Is slightly curved at the middle of the long side as a trading ship (junk) だそうで、計算された曲線であるようです。でも意外と、水平を出すために水糸を張ったのだけれど、糸がたわんでしまったというだけではないかと。

基壇天端は内側に傾いており、雨水は建物側に集まるようになっています

何か所か、レンガが窪んでいて、排水孔みたいなものがあります。僧侶がここにいた時期は、これでよかったのでしょうが、ビルマとの戦いで寺が焼かれ仏像が破壊され、都もバンコクに移ると、手入れもされず、この程度の排水だとすぐに詰まってしまい、基壇基礎を痛めてしまいますね

仏塔頭部が崩れたままになっているもの。今回、珍しかったので写真に撮りましたが、これ以降、何か所か、こんな感じのものがありました。アユタヤでも町はずれなので、塔が崩れたら崩れっぱなしのようです

これは別のところ。こうやって見ると、すごいな、の一言。だって、これってレンガをモルタルで固め、さらにその周りを漆喰で飾ったものなので、10M以上上から転がり落ちれば、バラバラになってしまうでしょう、、、でも、この通り、周りの漆喰も残っているし、不思議不思議。
 ちなみに、中心部に穴が開いています。建設時に心棒が入っていたのかもしれません、、、硬木で作ったものが、今は腐って無くなった?

新しい仏像ではありますが、日本人的に言うと、仏像があるとホッとします

遺跡の横でタバコを吸う僧侶。タバコって200幾つかある戒めに入っていそうですけど

生まれ変わったら、タイの犬になるのが幸せ

口元がずれていますが、草を反芻中。

ゾウの後ろに、アユタヤ水上市場があり、遺跡をぐるっと一周するゾウツアーが出ています

塔の周りをまわるゾウ観光客。ゾウ使いの格好がちょっと変ですが、子供のゾウ使いで、居眠り運転中です。ゾウが動くたびに、首を動かしますが、紐かなんかで括り付けているのか、落ちません。ちなみに、1頭だけでなく、親父さん、お爺さんのゾウ使いと一緒のグループなので、子供のゾウ使いはたんに乗っているだけでよいようです

なんかインドにでもいるような感じ

野中にポツンと立っている仏塔

南郊外へ移動中。これを最初に見たとき、なんだか全く分かりませんでした。100とか300はバーツ、すなわち値段です。魚へのタンブン用の川の中にまく、魚のえさです。
ここだけ日本風な感じのエリアでした

山田長政の像。二人ズレのタイ人女性のうち一人が、長い長いお祈り。連れが袖を引っ張ってやっと離れていきました。壇基部に山田長政の経歴がタイ日英で書かれています。日本語を読む限り、熱心に拝むほどのことをやったわけではなさそうですけど。商人であり、軍人であり、国王の顧問であったようです。

小生、1年程度、静岡市在住であり、山田長政は今の静岡市の育ち。最後、ナコーンシータマラートの領主に任命とありますが、贔屓にされた国王が死に、次の国王に左遷されたもので、最後は暗殺されたとも伝わっています。
アユタヤの街は二つの川に挟まれた島状の街ですが、日本人町はその下流、街の入り口に作られたようです、、、距離にして4キロほど下流。その上流側にオランダ町があり、さらに上流に中国人町があったようです。

アユタヤ駅から乗車。ここから乗るのは2回目なので、乗車の要領は心得ており、切符はStandee(立ち席)でしたが、三等席(自由席)に自分の椅子を確保。特急列車なので座席指定車両の前に並んでも座れないわけです。ファランの多くがStandee切符で座席指定のところで列車を待っているので、座れるわけはありません。
バンコクで降りたのは、いつもの、ニコムロットファイ11という駅。駅と言っても、何もありません。プラットホームさえ。扉が2か所ありますが、1か所しか開いていません。降車の際、乗客がボタンを押さないと扉が開かないようになっているためです。

駅からバイタク50Bでバンコク北BTへ。ボリサット・コンソン・ジャムガット、すなわち交通株式会社。ボリサットのボ、コンのコ、ソンのソ、略してボーコーソーと呼ばれています。バスターミナルの運営は株式会社が運営しているんですね。株主は国なのか、王様なのか、個人なのか、、、他人事ながら何となく気になります。


 タイ国内旅行12 スパンブリ線完乗+アユタヤ 完