分かったようで分からんというところ
A dog has four legs.
これを「犬は4本の足を持つ」と直訳で訳すと日本語では変
「犬には4本の足がある」が日本語風。
直訳だと、犬と足は別のもののようになるし、日本語風だと犬と足は不可分。
鈴木大拙 講演「最も東洋的なるもの」1963年録音 - SUZUKI DAISETSU -
東洋においては、松は松、竹は竹。自らなるものになるこれが自由という意味。
松が竹になろうとすることが自由というものではない。
鈴木大拙 NHK婦人の時間 聞き手犬養道子
聞き手)分かったようでわからないお話ですが、、、(笑い)
大拙)分かったようでわからんようなところが、分かったようでわからんというところに何かわかったことないとそうは言えない
それをわからせるようにするのが宗教なんです。
聞き手)今の私はそれを頭で考えようとしているから,,,
大拙)そうです
それを仏教の言葉でいうと分別視といいます
今の科学者の言葉では分析です
分析しないでそのまま丸のみにするというと弊があるかもしれないが
死中、夢中、ひとまとめにして丸呑みするということができれば、
仏教的になりますがそこに本当の安心(あんじん)ができます
その上に立って、今日があるとか明日があるとか、小さいとか大きいとか
死ぬと生きるとか、困ったとか困らないとかそういうことがあると
私は決めて考えています。
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