タイランド湾を見て暮らす・パタヤコージーライフ

Pattayaでのリタイヤライフです。旅行/日常生活/ゴルフ/鳥見/タイ語学習

アユタヤ行⑦

 アユタヤ島のチャオプラヤ川対岸、ほぼ外国人旅行客など来ないエリアを今日は攻めます。アユタヤ時代の仏塔の多くは、文化財としてしか扱われず、普段は誰もいないところが多いです。


 ここは国道から数百メートル入りますが、国道の入り口に花飾り屋があり、駐車場は無料ですが警備員さんまでいるという、現在でも信仰を集めている仏塔です。


 祭壇が設えてあり、詣でる人は順番待ち。

 このお嬢さん、10分くらいタイの爪踊り「フォーンレップ」を舞っていました。本来だと長い付け爪を付けますが、今日は自前の爪のみ。

ポルトガル村。アユタヤ時代にポルトガル人たちが住んでいた一角にあります。入り口でモタモタシテいると、草をむしっていたファランが「ポートギー」って招いてくれました。ボランティアさんなのでしょうね。

 1枚上の写真の白い建物の中は墓地の発掘現場を保存したものです。
 一帯は教会の跡地のようで、墓地は4段階に分かれていたとのこと、①教会関係者、②有力者、、、。ガラスケース入りのものも2体ありました。


 西洋のお国柄といえばもうそれ以上、論評のしようはありませんが、高々400-500年前の墓場を暴いて人骨を見せるという発想そのものを理解できません。

1650年ころのアユタヤです。チャオプラヤ川が大きく屈曲し、川筋が分かれた中洲の島がアユタヤです。画面の下の方がタイランド湾で、タイランド湾から遡ってきた入り口のあたりにポルトガル村があったようです。

川の左側に教会がありますが、このあたりがポルトガル村です。ちなみに、川の対岸に「Japonnois」とありますが日本人居留地です。
 結局のところ、ポルトガル人も日本人も、シャム王国からは警戒もされ、町の中には住めなかったということなのでしょう。


 日本村の上流側には中国村もあったようで、現在でも多くの中華系タイ人の信仰を集める大きな寺が残っています。中国の場合は積極的な移民もあり、最後の最後、アユタヤの血筋は中華系になり、現在、タイ経済を中華系タイ人が握っています。

 ちなみに対岸は日本人村があります。こちらの方は、日本政府が直接間接関わったようで、未来志向の日泰関係を表現している展示のように思えます。


 タイで日の丸がたなびいてるのはあまり見ない光景ではあります、、、画面右手タイ国旗とともに。


 このあたりで山田長政が活躍していました。