タイランド湾を見て暮らす・パタヤコージーライフ

Pattayaでのリタイヤライフです。旅行/日常生活/ゴルフ/鳥見/タイ語学習

2枚の地図

 左が18世紀のインドシナ地図、右が現在。


 私自身、ベトナムに7年近くいて、ベトナムって「領土的野心のある国」と考えています
 ベトナムは南シナ海の海岸伝いに勢力を伸ばしていて、現時点でホーチミン市、戦前はサイゴンと呼ばれた町を中心としたベトナムの一大穀倉地帯であるメコンデルタはカンボジアから奪っています。
 また北ベトナムの山岳部も、ラオス側に随分と押し込んでいます。


 ちなみに当時のベトナムの国名はダイヴィエット、漢字で書くと大越です。
 中国南部は越と呼ばれていましたが、自分たちは越から来た者だと国名に示したかったようです。ただし当時の清には朝貢していて、国名も清にお伺いを立てて決めていて、清からは「大」は生意気だといわれたようで、ナム・ヴェイット、南越(越の南部=すなわち中国越地方の南部)に変えられました。
 現在の国名はこれを逆にしてヴィエットナム(=越の南、すなわち中国の越とは別の国)という国号になっています。


 カンボジアはベトナムに取られたところ以外は国土を維持しています。


 タイ北部にランナー王国がありますが、この王国はラオス半分アユタヤ半分という国で、タイの元となったアユタヤとは姻戚関係があり、今から150年くらい前にタイに併呑されています。


 現在のラオスの元となった、ルアンプラバン王国、ビエンチャン王国、チャンパ王国のうち、ビエンチャンとチャンパは国土を半減しています。
 これはフランスが介入してメコン川をタイとラオスの国境に定めたため、メコン川右岸側がすべてタイ王国に編入されたからです。
 現在、イーサンと呼ばれているタイ東北部のほぼ全域はラオ族というラオス由来の人たちが住んでいた場所であり、民族対立とまでは言いませんが、自分たちはタイ中部北部とは違うのだという気概が感じられます。


 この地図を見て初めて気が付きましたが、かつてアユタヤ王国だったアンダマン海沿いの長大なエリアが現在のビルマ(ミャンマー)になっています。


 左の地図そのものが1707年から1796年の地図となっていますが、アユタヤ朝は1767年にビルマが侵攻してきて首都アユタヤが占領され、王朝が滅びました。
 この時点時点で当時のビルマに割譲というか取られたんでしょうね。


 この地図を見てわかるのは、意外というか案に相違して中国の侵略を免れています。
 もちろん文化的とか政治的経済的に、ラオスは中国の属国状態ですが、左の地図が右の地図に変わる頃、インドシナ半島はフランスがほぼ全域を抑えていて、中国の領土的野心を押さえていたのでしょう、、、