パ―イ 少数民族の竹の橋
パ―イの街から車をハイヤーしたり、レンタルバイクで来る人が多い「観光地」
今回、急坂急カーブの道を随分と走りましたが、少数民族の集落は道自体が多数民族を寄せ付けないようなところがあります。
入場料30バーツ。
タイであるあるですが、集金係がいてその先10mに切符もぎり係が配置されているスタイル。地方では人が余っていますので。
最初場内に入って、「まあこんなモノか、、、」という感じでしたが、イヤイヤイヤ、、、
しばらく歩いてあったのがこの看板
どうもここが起点らしくここから815mとのこと。
炎天下38℃の予報、、、歩き始めて何度戻ろうかと、、、
丸まっている文字はビルマ語です。
タイ語はKho Ku Soとあります。ビルマ語の音をなぞっただけのようで理解不能。
K
茶色い建物はビルマ風のお堂です。
雨が避けられて風通しを良くするために壁は作らないという作り方。
町中にあるコンクリート製のお堂も同じような作りです
発想としてはインド風ですね。
雨季ならば周りが緑の水田でもっと気持ちよく歩けるのでしょうね
橋面は竹編み、この編み方も橋ごとに特徴というか流儀があります。
職人個々の経験の産物なのでしょう
河川を渡るところは鋼アーチ橋
両端にあるこの程度のコンクリート柱でアーチアクションを受けられるのかな?
脚はコンクリート製の柱で、視線誘導というか欄干は木製。
コンクリートに木を継いでいるので面倒さが加わった構造ですが、コンクリートでは味気ないと感じるのでしょうか。
800m先のお堂の入り口。
ここでもタイの通例である「寺への参道として橋を架ける」というものを踏襲しています
橋を架ける費用を喜捨した人は現世で幸せになり来世でよい身分に生まれ変われるという教え。この寺院は人々にその機会を与えたというスタンスです。
一般には「福田(ふくでん)」といいますが、仏教は信者たちにそのような喜捨する対象を与える存在であるという考えがあります。
仏僧は働かず信者たちからのタンブンで食物を得ますがこれも福田思想によるものであり、聖武天皇の妃である光明皇后が悲田院を作ったということを歴史で習ったかと思いますが、この悲田も福田の一つです。
寄付を募ること自体、タイでは一般的なことなのですが、
「魚のえさを買うため」と「」小学生のための昼食確保のため」という理由の順番とレベルの差は理解できません。
魚の餌なんてどうでもいいじゃないですか、、、と思うのは日本人?
タイの寺院では信者たちが魚のえさを買い求めますが、これも代表的な喜捨です
多分、魚のえさはタイ人のための理由で、小学校の昼食は西洋人のための理由なんだと思います。
なお小学生はシャン族、カレン族、リス族とのこと
カレン族もシャン族もビルマで迫害されている人たちです
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