チョット刺激的な言葉ですが
出典として、アインシュタインの言葉となっています。
一応、この投稿主が確認しているとのことですが、翻訳の仕方も含めアインシュタインがこう述べたのかは私自身確認できません。
ここでは「学ぶこと」としていますが、読書するなり、他の人と会話するなり、または自分自身と向き合って以前と違う対応を考えてみるなど、いろいろな「学び方」があるのだと思います。
私自身は,,,
・鳥の写真撮ると反省ばかりで、もうちょっとマシな撮り方があるだろうと反省して改善します
・星についても同様です。望遠鏡を設置する段取りから含めてまだまだ改善の余地ありで学ぶこと多々です
・もちろん、数学とか天文学とか、純粋に学んでもいます。
・タイでの生活についても、多少慣れて日常が流れるように進んではいますが、依然として言葉は不自由だし失敗も多々。次にはもっと順調に物事が進むように改善は日々行っています。
だから日々学んでいると、私自身は思っています。
もちろん、私も学んでいない分野があり、例えば日本にいればごく普通に直面することは経験することもできず、積み残されています。
「慣れは退化」
ものごと慣れることは必要ですし、気持ちも楽です。
でも反省することなく前回と同じことを続けていれば、ちょっとした変化に気づくこともなく、やがては取り残されてしまう、、、とも。
退化、あるいは着実に死に向かっていくのでしょう。
人間は誰でも死ぬわけで、今更、「死の始まり」と言われても思うわけですが、生物学的な死とアインシュタインが言おうとした死は違うのだと思います。
私自身は可能な限り、生物学的な死までは死にたくないです。
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