タイ国内旅行 20 チャイニャート行 ⑬
この橋はそれと全く意識せずに出会った橋です。
アユタヤの宿から、Phraya Banlue運河に向かう途中、バンパイン離宮という17世紀中ごろから続くタイ王室宮殿の横を通過する道を選択して、通りがかった橋です。
イヤー、薄いですね。スパンセンターで30㎝くらいの厚さでしょうか、、、折れそうですね。アーチ支間長は30m前後(桁高支間比=1/100?)。次回通りがかることがあれば、ちゃんと計測しますので。
この橋は1910年建造の橋です。小生の敬愛するロベルトマイヤールがスイスの山奥でコンクリートアーチ橋を作り続けていたころの橋です。
2車線橋で、橋梁の前後に荷重制限標識なし。タイ政府が仕事をさぼっていないとすれば、110年前の橋梁が、現時点での最新の設計活荷重を満足しているということになり、驚異的なことです。
コンクリート防護柵の右端までがコンクリートアーチ区間。
防護柵左端から2mほどのところの路面にひび割れがあり、ここまで区間の路面の下に、アーチを支えるアーチアバット(箱式橋台?)が埋まっていると思われます。
「๑๒๙」はタイ数字で129を表します。私見では、「ラーマ5世の時代に架けられた129番目の橋」という意味だと思いますが、確たる証拠はありません。
モルタルで紐?とか、蝉?みたいな手の込んだものを作り込んでいますが、他に同様の事例を見たことがないので、「蝉」かどうかはよくわかりません。後ろの解説板には「花」とありますが。
鋼製柵。細工が細かいです。1910年当時のものかどうかは不明でが、リベット止めを多用していることから、時代としては古いものです。
上部の花の模様がありますが、薄板の四隅を折って花弁のようにし、リベットで裏表4枚重ねにして花を表現しています。
溶接がまだ高度な技術であった時代なので、各部材はリベット止めです。写真を拡大してみたところ、根元の部分に三角形の部材がありますが、ここの一部に溶接が用いられています。
橋の名前は「Baan Lane運河橋」(klongは運河の意)。
ラーマ5世治世時代に建設されたもの。この橋の東500mのところに、タイ国鉄の駅があり、国王がバンコクから離宮に来るときのために整備された道路/橋梁のようです。
補足) バンパイン離宮はチャオプラヤ川の中州に面して建設されています。中州には著名な寺院がありますが、中州へ渡る橋はありません。ケーブルが何条か張ってあって、人々はケーブルカーで川を渡ります。
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