タイランド湾を見て暮らす・パタヤコージーライフ

Pattayaでのリタイヤライフです。旅行/日常生活/ゴルフ/鳥見/タイ語学習

タイ国内旅行 23 チェンマイ北部 ㉓

 バイクをレンタル屋に返す時間を16時と設定していて、それに間に合うようにチェンマイ市内に入り、最後の追い込みで、市内の橋梁を10橋ほど廻りました。
 2週間前、チェンマイ南部を旅行し、最後バスターミナルに向かう際、中華街を通るとき珍しい橋の高欄があり、なんだろう、、、と思ったのがきっかけ。

 事前調査結果の図、赤細線円が数珠繋ぎに9個並んでいます。図では判然としませんが、運河が南北方向にあります。記憶を手繰ると、この運河の城塞側に土手が築かれていたことを思い出しました。
 チェンマイは、堀に囲まれた矩形の城塞都市で、堀に沿ってレンガ積みの城壁が残っています。推測ですが、外敵は図右にあるPing川から船でやってくると想定されていて、Ping川も防衛線なのでしょうが、城砦とのあいだにも運河沿いに防衛線を築き、街のと出入りは限られた橋を通ってしかできず、橋に何らかの意味を持たせた高欄を作ったのではないか、、、と想像。

 高欄全景。タイ一般の橋同様、支間中央に橋名板があります。高欄と書きましたが、衝突荷重は想定していないような構造に見えます。橋名板を挟んで2柱、そして橋詰の親柱があり、その上にゾウが乗っています。

橋名は、サパーン・メー・カー。サパーンは橋、メーは川、カーは「生姜」という意味。
 その下に小文字で、ラッタナーコーシンと書いてあり、これは現在のタイ王朝名です。
 順次、橋を見て行ってわかりましたが、これは通りの名前を示しているようです。

ゾウの像は別の場所で作られ、載せられているようで、別のところで見るとずれ止めの芯棒がありました。

 これが通り全景ですが、古くから道そのものはあったにして、これほど広く拡幅されたのは自動車交通が盛んになってからでしょうね、、、だから、高欄も現代に架橋された時点で設置されたものであると、判断できます。

 桁を見るとゴツイ鉄筋コンクリート桁ですね。白い跡がせん断クラックのようにも見えます、、、いずれにしても、それほど古い橋には見えません。パッと見て30-50年くらい前までしか遡らない感じです。

光っていて判然としませんが、ゾウが金色に塗られています。

 再び橋梁名ですが、橋梁名はここまではすべて、サパーンメーカー、すなわち生姜川橋です。そして下段に書かれているのが、通りの名称です。

ひとつ前の写真と比べてもらうと、ゾウの像の作りが違います。向きも斜め45度になっていて、「鞍」の意匠も異なります。

 橋名を挟む柱に付いている金属板の打ち出し。写真だと見えないかもしれませんが、非常に微細な凹凸で表面が仕上げられています。

 同様の金属板の打ち出しは「高欄の窓」の周囲にも設置されています。金属板をクロスさせて非常軽快な感じです。当然、高欄に要求される耐荷力はなさそうです

 これは獅子でしょうか。金色のペンキで塗装されています。モルタルでペタペタ張り付けているだけなので、経年変化で朽ちていくようで、細かいところを見ると、表面が剥がれ落ちていることがわかります。
 ちなみに、前後の話に全く関係ありませんが、川の右側奥にちょっと見えるビルがインペリアルメーピンホテル、テレサテン終焉の地です。

 この通り、チェンマイのナイトバザールに通じる道で、過去4回ほどチェンマイを訪問していますが、すべてこの近辺に宿を取り、何度も何度も、通った橋ではあります。でも、1橋しか見ていなかったので、珍しい意匠の高欄だなと思うばかりでした。

 全9橋のうち2橋がこのような仕様でした。「明り取りの窓」が幅狭く、橋名の付け方も異なります。ただ、全体的には同じような意匠ではあります。
 結局、事前にGoogleマップで事前調べた9橋を巡りましたが、この高欄の意匠について、自分なりの回答は、、、不可解。
 チェンマイ建都〇〇年を記念して、作り替えられた。というものなのかな、、、

橋巡りをする際に、中華街の狭いくねった道をバイクで走る中、見かけた歩道橋。
 もともとは向かい合うビルを繋ぐ専用通路が欲しかったので架けられたもので、便宜を図るためにビルの外階段兼用の昇降階段を設けたもの、、、なんでしょうね。跨道橋という方が良いかもしれません、、、道路を横断するためにはたぶん誰も使いません。