タイランド湾を見て暮らす・パタヤコージーライフ

Pattayaでのリタイヤライフです。旅行/日常生活/ゴルフ/鳥見/タイ語学習

パーイの鉄道橋

 この橋、メモリアルブリッジとあり、趣旨としては日本軍が架けた端であるという意味合いに取れそうです。
 タイに来る外国人観光客の最大の観光スポットは戦場に架ける橋、、、で、日本軍が戦争捕虜を使った強制労働で作った橋ということで英国、オーストラリアなどの観光客をひきつけています、、、タイ観光当局として二匹目のどじょうを狙って「日本軍の架けた鉄道橋である」として客を呼ぼうとしていてそれはある面成功しています。タイ人の多くもそう思い込んでいます。


 ただしこの前後、アクセルを思いっきり踏んでも20キロ/時くらいしか出ない急坂が延々2時間近く続く道で、どう考えてもこんなところに鉄道など敷くはずもなく、日本軍の記録を見ても道路は作ったが鉄道など作った記録はありません。

 現地にはちゃんとした歴史解説の看板があり、正解は、
①当時英連邦であったビルマに侵攻するため日本軍はメーホンソン~チェンマイの道路を作った
②パーイの街の手前、パ―イ川に橋を架けるべく、現地で1日1.5バーツの賃金を支払って労力を得、別途、ゾウ使いたちに木材の運搬を行わせた
③日本軍撤退の際、日本軍は橋を焼き落としたため、地元住民は船で渡る元の状態となり、不便になり、橋を架けるよう行政に陳情した
④チェンマイで橋の架け替えがあり、その資材を転用することが決まり、鉄橋が架かった


 ということで、最初の橋は日本軍が架けたが、今ある橋は日本軍とは何ら関係のないもの


 日本軍の功績というか関連をいうのであれば、前後の急峻な道を車を通れるようにした、、、ということなんですけどね。

 写真左上が日本軍が架けた木橋
 写真右上がチェンマイに架かっていたナラティワート橋。この橋の資材を転用しています

 西洋人が観光に来ています、、、右はタイ人ガイドで「日本軍が架けた橋」と説明しています。

 橋そのものは1930年に米国で作られたもの

 パ―イ川のメイン部分はチェンマイのナラティワート橋とのことですが、陸上部の橋はどこか別の鉄道橋のようです

 専門的ですが、、、
 頭の丸いものと六角形のものがあります。
 頭の丸物は元からのもので、橋を作った当初のものです。
 それを一部残しながら、橋を解体して駆け直した際には六角ボルトで接合したということになります

 再架設は結構いい加減で、上の水平材と鉛直材はつながっていません。
 多分、再架設する際に芯が合わなかったのだと思います。


 構造としては裏側にも同様の個所があり、そこはちゃんとボルトが刺さっていましたので、ハズレ落ちることはありませんが、少なくともこの部分では力のやりとりがなされません