ランパーン県 ラチャダーピセーク橋
ランパーン市内 Ratsadaphisek Bridge(ラッチャダーピセーク橋)
前回2020年末以来の再訪。
ラッチャダーピセークはバンコク市内の道路をはじめ、あちらこちらで見かけます。
ラッチャダ(รัชดะ、銀)とアピセーク(อภิเษก)からなる合成語のようで、具体的には即位25周年記念を表す意味のようです。
写真左手は古い商家が続くかつての街の中心地。
街の中で隘路になっていることは否めませんが、古い商家も含めて観光客が多く訪れるところのようで、タイの中で有名な橋となっています
赤いガルーダ(半人半獣の霊鳥)のタイ国章レリーフがあり建設に王様が深くかかわったという印になります。
親柱の内側、ミーナコム2460とあり、タイ暦2460年(西暦1917年)3月という意味。
今から107年前の橋ということになります。
Wiki で調べると、
① 1894年にラーマ5世(またはチュラロンコン大王、日本だと明治天皇的な存在)が王位に就いて25周年を記念して木製の橋が建設された。橋は流木で1901年に崩壊
② 同じ場所に、鋼材と木材を用いた構造(iron-wood structure)で1905年に作られた橋は同様に、洪水期に流れ下るチークの丸太で1915年に崩壊
③ ラーマ6世はコンクリート構造で橋を造り直すことに同意、1917年に完成。現在に至る
前回来た時は乾期ど真ん中で水が干上がっていましたが、今回は何とか水面に映るアーチも写せました。
幅員的にいうとギリギリ2車線というところ。
鉛直材への衝突を防ぐためにガードレールを入れたいところ。
タイという国は王政なので、王様が作った〇〇というものを不便だからといって壊せない国なんだと思います。多分、あと100年後にもこの橋はここにあると思います。
前回来た時も感動しましたが、床版がきれいです。
107年前のものだと思います。
河川の高水敷に自動車が通れるようになって、床版にぶつかって壊れているところがありますが、損傷といってもその程度。
床版に見える青いパイプは排水用です。
人工的な排水装置など作っても詰まるだけなので、路面の水は下に直接落とす、これが一番です。
アーチ側面を見ると型枠の線が見えません。
前掲床版の写真を見てもわかる通り、コンクリートを打ち込みますので、型枠が必要でコンクリート表面には型枠継ぎ目の線が残ります。
現在白く塗られていますが、鉛直材も含め表面は何らかの補修(中性化対策)が行われている感じがします
ランパーンはバンコクからタイ北部に北上する2本の国道が交わる交通の要衝であり、移動の際の経由地となる街なので、次回(多分半年後)は宿泊前提でライトアップ写真を撮りたいと思っています。
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