タイランド湾を見て暮らす・パタヤコージーライフ

Pattayaでのリタイヤライフです。旅行/日常生活/ゴルフ/鳥見/タイ語学習

タイ国内旅行 27 北部低地 ⑮

4日目、ウッタラディット→ピサヌローク

 ウッタラディットの宿泊先は中華系のホテル。浴槽もあり、朝食付き。
 普段、朝早く出るため、朝食付きのホテルは避けるのが基本ですが、今回の予定では第4日目は比較的行程が楽なため、ちょっと遅めに出発するとして、朝食付きでもいいか、、、とこのホテルを選択。


 タイの朝食で一番好きなのが、このお粥。
 単純にコメを茹でてドロドロにしたものをベースに、薬味、味付き肉、胡椒、ナンプラー等で味付け。これがあれば他は要らないという感じです。

 道路距離表です。普段はタブレットに表示されるグーグルマップを見ながら運転しますが、国道を長距離走るときはタブレットの電源を切り、距離標のみを頼りに頭の中で残距離を計算しながら走ります。


 その時に要求されるのが動体視力。2段書きの下はPisanurooku、ピサヌロークと書いてあります。速度50㎞/hで走っていると、これ全体を一度に読むことは難しいです。


 ただ画像として認識して、後ろ3文字がロークであることは比較的簡単です。お尻がロークならピサヌロークだろうとは持っている知識での判断。1キロ先の次の石標では同様に前側3文字程度を画像として記憶、ピは読めますが、サヌは細かいので読み取れません。ただ頭がピで尾っぽがロークならやっぱりピサヌロークだろうと、次の石標では停車して文字を判読。一旦、ひと固まりで覚えてしまえば、あとは一文字一文字読むことなくピサヌロークと判読できます。

 ピサヌロークにある博物館。時代的にはアユタヤ朝、1550年ごろの遺跡のようです。
 ピサヌローク出身のナレースワン大王(タイの3大大王の一人)の生誕地であるとか

 遺跡は確かにアユタヤ朝っぽいものです。ただし正面の仏像がその当時のものかどうかは非常に???。多分、後世の復元だと思われます。


 ナレースワン大王はアユタヤ朝時代のピサヌローク県知事の息子で、ビルマがアユタヤ朝を侵略した際、ビルマに人質として連れていかれ、ここで軍事の勉強をしたとのこと。のちに父親がビルマの傀儡としてタイ王になると送り返され、機を見て父王を助けビルマから独立、一時期ビルマやカンボジアも支配下に置いたアユタヤ21代目の王様。


 ナレースワンは救国の英雄で、タイ各地の町にはナレースワン通りが存在し、古式ムエタイ(タイ式ボクシング)の創始者ともいわれている人。

 これは珍しいものです。
 石を積みモルタルで化粧した柱の上部から木製の桁が突き出しています。


 現在、アユタヤの遺跡はビルマに破壊されたということもあり、石造製の柱が立っているくらいです。往時の状況は想像するしかありませんが、石積み柱の上部から木製の桁を突き出し、その上に木製の屋根が載っていたこと、屋根は木製か、草製(ヨシやアシ)だったのだろうと。ビルマに破壊されたとき焼失したのか、その後の経年変化で崩れ落ちたのか、いずれにしても往時、屋根を支えていたであろう桁のみが残っているわけです。

 これは仏塔の基壇の部分でしょうか。階段が前面に見えますが、アユタヤ期のものとしては珍しいです。

ピサヌローク郊外の地獄寺 Wat Pho Thong Chaem Suwan
このお寺、この1組のピー(死者の霊)のみ。

 惜しいことに正面からの写真はここで紹介することはできません。
 男女ともあまりにもリアルなため。差しさわりのない範囲でご紹介

 この日の行程はウッタラディット→ピサヌロークですが、これだと午前中程度で完了してしまうため、明日の宿泊地であるナコンサワン方面を先取り。ピサヌロークの隣県であるピチット県付近まで南進。


 この日最後の訪問地である地獄寺を見て折り返そうとメータを見ると、ほぼガス欠。これはしまったこと、こんな主要道路から外れたところでGSなど見つかるはずもないと寺を出たところの門前の雑貨屋。ペットボトル入りのガソリンがあり、「助かった」
 値段を聞くとサムシップバーツ(30バーツ)というので、20バーツ札2枚を出すとお釣りが2バーツ。サムシップバー(ツ)(38)だったらしい。