タイランド湾を見て暮らす・パタヤコージーライフ

Pattayaでのリタイヤライフです。旅行/日常生活/ゴルフ/鳥見/タイ語学習

タイ国内旅行 20 チャイニャート行 ⑥

 旅4日目、チャイニャート→アユタヤへと、ター・チン川に沿って下っていきます。

 ターチン川沿いの市場にて。
 タイの観光地として「水上マーケット」と名の付くものがたくさんあります。観光のためだけに作られた「パタヤ水上マーケット」のようなものもありますが、多くは、その昔、水上交通がタイ国内交通の主力であったころ、川沿いに市場が出来、それが今に続くものです。


 ちなみにここには正面の橋を見に来たのですが、橋としては「屋根付き」というだけで橋の形式としては特に珍しくないコンクリート橋。橋の中央に「2508年(=昭和40年)」とあり、そのころに架けられた橋とするならば、日本だと東名高速道路の頃の橋であり、橋の形式としては当時最新式だったっぽいのですが、熱心に写真に撮らなかったので、次回また詳しく調査したい、、、と。

 クイティアウ・バミー。中華麺のクイティアウで具は魚肉団子+豚肉など。
 これで40バーツ。地方のわりにちょっとお高いかな?という感じ。
 量もそれほど多くはありませんが、温かい麺であり、腹に入ると、ふっと気が緩む感じ。いつもはタロイモパンだとかアイスクリームだとか、即、糖分補給になるものを7-11の店頭で食べるだけなので、テーブルに向かい椅子に座って食べるだけでも、腹の足しになったようです。

 先ほどクイティアウ屋の続きはこんな感じ。
 タイの建物は、一般にコンクリート+レンガ積みなので、木造の建物を見ると、日本人としても懐かしさを感じるようなたたずまいです。

 これは別の水上マーケット。
 赤い柱が見えますが、中国系の人たちが作った舟運の経由地です。


 タイでは人種間対立が若干残っています、、例えば、タクシン/インラックの兄妹は中華系です。タクシンは警察官僚出身ですが、中華系ということで警察では出世できず、裏稼業の携帯電話で財を成し、首相になりました。妹インラックは、全国的な支持を受けられそうになかったので、ラオス系の多いタイ東北部の農家が喜ぶようなコメの高価買取政策で票を集め首相になったりと。


 水上マーケットの多くは中華系の人が作ったようです、、、米やその他物資の集散地だったのが船着き場で、それらを経済的に牛耳っていたのが中華系の人たちだからです。金のある人たちは都会で新たなビジネスに取り組み、今、この木造建物に残っているのは出世競争に乗り遅れた人たち、あるいは老人たち、、、なのかもしれません。

 九峰村、、、とあり、この市場を作った人の中国での旧村なのかもしれません。

 船岸の寺で見た「古代船」の展示コーナー。
 今でも現役のようで、沖縄、横浜、長崎、、、などのドラゴンボートレースみたいなものを毎年、行っているようです。

 10月くらいまでがタイの雨季です。雨が降り、田に水が張れるようになると田植えです。日本の田植えをしばらく見ていませんが、田んぼの奥の方に自動田植え機があって、どんどん植えていき、手前に立つおばさんは、機械が植え残したあたりに手で植えています、、、書生が見た一番最後の、日本での田植え風景のようです。


 ちなみに、この横の田んぼでは稲穂が重く垂れています。5月くらいに植えたものが今刈入れを迎えているわけですが、すぐに田を起こしてここと同様に田植えをするのだと思います、、、大体、1月下旬から2月ごろが、次の収穫の時期になり、ライステンプル(稲穂で作った寺院)などが見られます。

 鳥の名前がわからないので、ネットに「鳥の名前を教えてください」と投稿したところ、即座に、「アカモズだと思われます」と。調べると、日本で一般的にみられるモズの種類のようです。パタヤにはいないので、さぞかし珍しい鳥だと勇んだのですけど。


 アカモズ、タイの鳥として認識した72種類目の鳥になりました。

 夕方、アユタヤにたどり着くと、バンコク方面に巨大入道雲。
 この日、9月23日、バンコクは大洪水に襲われたようです。