タイ国内旅行 25 パヤオ孔雀の旅 ㉑
ランパーン市内 Ratsadaphisek Bridge(ラッチャダーピセーク橋)
ラッチャダーピセークはバンコク市内の道路をはじめ、あちらこちらで見かけます。
ラッチャダ(รัชดะ、銀)とアピセーク(อภิเษก)からなる合成語のようで、具体的には即位25周年記念を表す意味のようです。
先王ラーマ9世の25周年だと1971年なので時代が合いませんが、1971年に大幅に改装されるなどして、橋名が変わったのかもしれません。
橋門構に書かれているのは橋名です。
この橋梁の一番有名なアングルです。
タイで橋といえば、5本の指に入る橋梁です。
歴史的な橋梁で括れば第一位かもしれません。
2460年3月とあります。1917年です。今から103年前の橋梁ということになります。
ラーマ6世の時代ですが、1917年は在位7年目なので、ラッチャダーピセーク、即位25周年記念には合いません。
同じランパーンで、ターチョンプー橋が建設されたのが1919年なので、計画者/設計者が同じ人物なのかもしれません。
Wiki で調べると、
① 1894年にラーマ5世(またはチュラロンコン大王)が王位に就いた25周年を記念して木製の橋が建設された。橋は流木で1901年に崩壊
② 同じ場所に、鋼材と木材を用いた構造(iron-wood structure)で1905年に作られた橋は同様に、洪水期に流れ下るチークの丸太で、1915年に崩壊
③ ラーマ6世はコンクリート構造で橋を造り直すことに同意、1917年に完成、現在に至る
幅員的にいうと、ギリギリ2車線というところ。
鉛直材への衝突を防ぐためにガードレールを入れたいところだけど。
型枠線が見えています。木の板で作っているようです、、、今から100年前だから合板や鋼板なんてないでしょうしね。アメリカオレゴンなんかも、こんな感じでしたね。建築資材って本来は、地産地消が基本ですからね。
ちょっと気になるのは、一番手前の上横桁(橋門構)だけ、アーチとの取合部でハンチがないですね。建築限界がoutだったなんていうこと?
デザイン的には当初のモノっぽいですね。アーチが支点上でわずかに回転するはずだけど、構造的に遊びはなさそうですね。
のちの時代にアーチの外側に歩道が付けられました。手すり足元に見えるのは照明?
アーチ鉛直材は各々、フットライトが付くようになっています。
前回来た時はこの数百mのところで宿泊しましたが、ライトアップの情景を見ることはありませんでした、、、次回は泊まりかな?
この橋は主要な観光スポットなので、家族連れが記念写真。
床組みは、ごくごく上等の仕上がり。
見た目、黒っぽくなっていますが、これは何らかの表面保護剤なのか、100年前からの経年変化なのか、今から思えば、ちょっと削って確認しておきたかった、、、側径間は桁下50㎝ほどなので十分に触れる感じ。
青いパイプが見えていますが、路面水は直落としです。
桁を支える支承は、片側がコンクリートを打ちおろした構造。橋脚天端との隙間処理は未確認。若干の回転を許す構造になっているかどうかは?
反対側は鋼製ピンローラー支承。上部で桁の回転を許し、下側で水平移動を可能にするもの。100年前のものにしてはちょっと新しそうな感じ。改良工事で挿入したのかもしれません。見た目、固まって動いていなさそうな感じ。
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