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ら抜き言葉

 

日本語の歴史(最終回)「未来語のはじまり」 - YouTube


 最近、「ら抜き言葉」についての個人的な見解を改めました。
 上記は言語学者の方がYouTubeでまとめられた「ら抜き言葉」の必然性、健全な言語の発展の中でどう見えるかについて短くまとめたものです。


 日本語の動詞には活用があって、中学生あたりで、未然連用終止連体仮定命令と習うわけです。


 「食う(くう)」は五段活用、「食べる(たべる)」はか行変格活用です。
 五段活用の場合、受身とか尊敬の場合、「食われる」になり、可能の場合、「食える」になります。か行変格活用の場合、受身も可能も、「食べられる」でしかありません。
 すなわち、五段活用の場合、動詞の語末で受身か可能かがわかるのに対して、か行変格活用の場合、受身か可能かは語末表現ではわからず、文脈の中で判断するしかないわけです。


 そこで、ら抜き言葉の登場です。「食べられる」から「ら」を抜いて「食べれる」とすることにより、五段活用同様に受身尊敬と可能が文脈なしに判別できることになります。
 多分、ら抜き言葉を最初に使い始めた若い(=当時)女性たちはそんなこと考えずに使っていたと思いますが、言語学者が改めてみれば、か行変格活用が五段活用側にシフトして同じ形態に収斂したとみることができ、言葉の変化としては至極妥当なものとみえるようです。


 上記のYouTubeはそれを「未来語のはじまり」と捉えています。


 そんなことに興味を持ったのは、以前紹介したこともある、「ゆる言語学ラジオ」というYouTubeで、「『ら抜き言葉』で日本語は美しくなった」という回を聞いてからです。


 個人的にはら抜き言葉を使うことはなさそうですし、今でも会社の面接試験に使ったら心証が悪くなることもあるかもしれません。でも、ら抜き言葉のような形で言語は変わっていくもののようです。
 付け足し的にいうと、上記の「未来語のはじまり」では三島由紀夫が「意外と」という言葉に若干の嫌悪感を持っていたことが紹介されています。「意外に」は当時普通に用いられてきたようですが、「意外と」は新しい、三島にとっては不愉快な使い方だったようです。今我々はごく普通に「意外と」を使ってしまいますけどね。