タイランド湾を見て暮らす・パタヤコージーライフ

Pattayaでのリタイヤライフです。旅行/日常生活/ゴルフ/鳥見/タイ語学習

タイ国内旅行 21 アユタヤ県行 ③

 アユタヤ県行2日目

 宿からでて真っすぐ通りを進むと、アユタヤ歴史公園。ワットマハタートですね。菩提樹に仏頭が納まっているところです、、、でも今回は橋巡りなので前を通過。

 この日最初の橋でのこと。橋そのものはコンクリート橋で、今までに見たことのないような形式でしたが、橋のことはまた別稿でということで、このお兄さんの構えている手製銃。
 今回、2度ほど見ています。厚さ20㎜ぐらいの合板を銃のように切り出し、引き金とか銃床などが再現されています。手製銃と書きましたが、見た目精巧なので、販売されているのかもしれません。
 先端に付いている青い円筒形のものの役割が不明ですが、ゴムを引き延ばして撃つ、、、いうなればパチンコの巨大版です。2度とも少年が持っていました。
 今回の旅でも、釣り竿を持った多くのタイ人とすれ違いました、、、まあ橋巡りをしているので、必然的に釣り人に出会うわけですが。田舎の人にとって、釣りが安価な趣味なのでしょうし、少年だとちょっとワイルドになるということでしょうか。

 アユタヤを出るときから、ハンドルが重く、バイクを止めて前輪を触るとパンクでした…そういえば、昨日、雨の中を長駆しましたが、なんかハンドル重かったなあと。その時は疲れからそう感じるのだと思っていました。
 最初の町で見つけた修理屋。前輪に空気を足して穴を確かめ、おもむろに電卓で220。220でいいかと。パタヤだと50バーツだよな、こいつ外国人だと思いボッタクルつもりだなとは思うものの、値切るのも面倒なのでそのままOK。
 修理作業は3分間。パタヤで行うのと同様に穴にゴムを突っ込んでお終い、でした。

 タイの一般的な民家ですね。
 今回、橋巡りをするアユタヤ県は、ほぼ全域が洪水に浸かる地帯なのだと思います。だから高床式であることが必要なのでしょうが、他より数m高く作っている道路と同じ面にある敷地だと、水浸の恐れがないにせよ、床下を風が通れば湿気も飛び涼しさも増し、日陰ができてじっちゃんばっちゃんの手間仕事も楽にできるということでしょうか。

 一般的にはこんな感じで、高床式必然。床下は舟の係留場という感じです。

 農村で、今回の放浪の旅のなかで、ほぼ唯一に近い新築の2階建て。資力がある方の住宅なのでしょうが、トップヘビーでこの家、大丈夫なの?という感じ。

 橋巡りでは、元資料作成段階でGoogleマップの衛星写真を参考にします。そして可能な限り、ストリートビューで形式も確認しますが、田舎だとストリートビューがないのが普通。
 正面にちょっとくたびれた白っぽい橋がありますが、その手前に目的の橋はあったはず、、、。
 白い橋ができてほぼ用済みになったのでしょうが、あえて壊す必要もないということで、衛星写真撮影時には古い橋が残存していたものが、川の護岸工事で壊された、、、ということのようです。川沿いの道も復旧中で、今回はここで断念。

 公式資料によれば、タイ国内の仏教徒は95%。ムスリム3.8%、キリスト教0.8%、、、だそうです。でもちょっと古い記事になりますが、

によれば、そんなことはないよ、ムスリムはもっと多いはずとのこと。


 橋巡りをしているとたくさんのモスクに出会います。上記記事によれば、モスクの数はバンコクだけでも175か所だとか。


 タイの歴史は国境線変更の歴史で、近年になってもイスラム教徒多数の南部を1882年に併合しています。


 タイはなぜ、ビルマ、ラオス、パタニ(上述の併合されたイスラム国)などに対して侵略したか?歴史をたどると、奴隷目当てでした。「奴隷」って、きつい言葉ですが、いうなれば住民強制移住、侵略者が侵略した土地の人々を連れ帰り私民にすることです。タイは国土のわりに人口の少ない国で、労働者確保のために周辺諸国と戦っていた、ということになります。


 余談になりますが、「タイ」の語源は「自由民」という意味で、民衆の間での「私は奴隷ではない」という会話言葉から採られたものとされています。


 前回、今回と運河沿いに橋巡りしているわけですが、他では見かけることの少ないモスクに多数出会いました。


 未開のジャングルを耕地化するため、そして収穫物を運ぶため、運河網が張り巡らされました。重機の無い時代、結局、人力で地面を掘るしかなく、運河ができればできたで、荷物積み下ろしや引き船(運河沿いの道を綱を使って船を引く)などの労力が必要になり、強制移動された人たちを運河沿いに居住させ、これに従事させたのでしょう、、、、。