Prasat Thong Lang
赤く印を付けたのがクメール寺院 Prasat Thong Langです。
遺跡の右上に矩形の緑色をしたものが見えますが、貯水池です。
画面の上の方に、横に繋がる緑の線があり、地域を流れる河川です。
推測ですが、クメール寺院が出来た当時、河川が寺院の横を通っていたのか、あるいは、
現存する河川から砂礫層等が地下に繋がっていて、矩形貯水池で泉が湧いていたのでは?と
考えています。水の神様に感謝をささげ、未来永劫水が枯れないように祈禱する場所だった
と思われます。
衛星写真だと矩形の広い敷地を有していますが、祠堂そのものはぽつんと立つのみ。
石塀の遺構が見えません。当時からなかったのでしょう。
三つの堂が並列する、よくある形式です。基壇はラテライト、お堂は煉瓦で組まれていま
す。入り口部の大きさ/高さは3つのお堂で同じようですが、右のお堂は全体的に小ぶりで、
上部がありません。当初から屋根は木造で、比較早い段階で、腐食崩れ落ちたのかもしれま
せん。
基壇の高さが、左右で随分と下がって見えます。左のお堂をみると、組石2~3段下がって見えます。建物は水平を保っていますので、建物下部の基壇と、それ以外の基壇では基礎が違うのかもしれません。
正面のお堂。左側を見るとレリーフがあったことがわかります。花びらでもあったのでし
ょうか。レンガを組んでからレリーフを入れたのでしょうが、レンガを削ればレンガの安定
は減少しますので、左側はすべて剥落しています。
蓮の花を模したと言われる場合もありますが、お堂の4面の角は、大きく切り込んだ形に
なっています。
基壇の石積みが、地面から2段目までと、それより上部で段差が出来ています。上部が建
物の重さで外側に押し出されたように見えます。
後ろから見ると、正面から見て左のお堂はほぼ完全に形状を保っていますが、真ん中のお堂は、お堂頂部のアーチが崩れ落ち、背面側の壁も現存していません。
堂の屋根もアーチで組まれていたと思います。三角形に見えるのが迫り出しアーチで組まれた入り口部です。迫り出しアーチはイスラム/ローマ風の真円アーチと違って、材料接触面に圧縮力がかかっておらず、構造として脆弱で、一旦崩れかかると、崩壊の起点になって
しまいます。
このアーチもレンガが崩れる一歩手前で踏ん張っている形で、早晩崩れ落ちそうです。
ローマ風のアーチは材料を節約するために考えられた構造です。
このお堂の壁厚を見てわかることは、材料を節約しようなど毛ほども考えなかったのだろ
うな、、、ということ。帝国の王が、他国を侵略し住民を奴隷化し、人手をかけて建物を作ろ
うとすると、節約など考えないわけです。となると、材料を減らす努力などなく、分厚い壁
を作ることを厭いません。分厚い構造が堅牢とは必ずしもならない例だと思います。
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