アユタヤ行⑩
3日目、朝一番にバイク屋へ。
通常の営業は8時からのところ、明日は7時に来るから店を開けておいてと頼んだところ、Okだったのに、まだ店は開いていず、店の先のパセーク川沿いでちょっと時間つぶし。
アユタヤはチャオプラヤ川とその支川であるパセーク川の中州に作った街で、川が自然の堀になっていて外敵の侵入を防いでいます、、、と、ここまで書いて、本当にそうかな?と自問自答。
アユタヤは14世紀から18世紀の王朝ですが、このころのタイにはほとんど道らしい道はなく、物資の移動は河川を使っていたようで、昔からの主要都市はすべて大きな川に面しています。
物流を抑えて通行税等を取っていたようで、軍隊の移動も当然、河川中心だったと思われます。江戸城の堀みたいに、城を囲む堀であれば、それは要害にもなりますが、敵は川を伝って来襲するわけですから、上陸ポイントを確実に抑えないと、守る方も大変ですね。
今日は対岸に渡るつもりはなかったのですが、おばさんが手漕ぎでやってきたとき、「これが対岸への渡し船?」とちょっと驚きました。実際は、渡船とは全く関係がないようで、安心しました。
川辺で5分ほど時間をつぶして戻ると、店が開いていました。2日目の借り出しなので手続きはいたって簡単。デポジット含め3200B渡すだけで完了。
何となく様子が気になったので。
仏塔の前に仏像がある寺院遺跡を訪れた時のこと。
寺院の壁越しに、イスラムのヒジャブが見えます。実際には女性4人組でした。イスラムには、他宗教に寛容ではないというイメージがあり、仏教遺跡に来たことに驚きました。写真を撮ろうとすると仏像があるわけで、偶像崇拝の立場だとどうなるのか、、、と。
どうするのかな、と思ってみていましたが、タイ人一般客が一通り出て行ってから寺院に入ってきました。話している言葉はタイ語で、タイ南部からの観光客でしょうか、、、。
プラサート・ナコン・ルアン。寺+都+王。アユタヤ中心部から往復35㎞。
名前からして由緒ありそうな寺ではあります。
訪問記、、、アユタヤ⑫に続く。






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