泰緬鉄道の縦断勾配
泰緬鉄道の計画は英国で作られましたが、泰緬鉄道ができると英国支配のシンガポールの航路経由地としての国際的地位が低下することもあり、英国はこの計画を採用しなかったといわれています。
日本軍がタイに進駐に、英国支配下のビルマ(現ミャンマー)に侵攻し、その補給路を確保するため、英国の計画を引き継いで日本軍が泰緬鉄道を建設したようです。
泰緬鉄道の経路は、かつてビルマがタイに象部隊で侵攻、アユタヤ朝を支配した時に通った道と言われ、昔からの物流の経路であったようです。また、現地に行くと、いわゆる戦場に架かる橋のような難工事を行わずとも、もっとよい計画線があったのでは?と感じるところもあります。
現在、ダムが出来てカオレム湖という湖の下に、その昔ながらの道、また泰緬鉄道の跡が水没しています。現在の道路は山の裏側の急こう配/急カーブの道に移設されたため、そこだけをみると、何でこんなところに鉄道を引いたのか?と思うこともありました。
ということで、何となく気になっていた泰緬鉄道の縦断勾配について、ちょっと調べてみました。
着目ポイントは以下の7点。
① メーコン河口 物資をどう運ぶかという点で、バンコク経由とメーコン河口に陸揚げする案があったとのこと
② Nong Pla Duk分岐 タイ国鉄と泰緬鉄道の分岐点。日本陸軍により建設された駅
③ 戦場に架ける橋 映画の舞台、日本軍による強制労働
④ ナムトック線終点 泰緬鉄道の名残、国鉄ナムトック線の終点
⑤ ワジラロンコンダム 泰緬鉄道の後は現在、人工湖カオレム湖の湖底に沈んでいる
⑥ カオレム湖頭 現時点でこの位置までカオレム湖の水面となっている
⑦ タイミャンマー国境
標高は各着目ポイントでのもの。距離は追加距離。勾配は標高の差を追加距離で除したもの。
鉄道の専門家ではないので断言はできませんが、鉄道の縦断勾配としては、十分成り立つ勾配のように思えます。
なお泰緬鉄道ですが、大戦末期、泰緬間で運用されたものの、航空機による爆撃で運行停止となる状況もあったようです。
戦後、残留日本兵により「戦場に架ける橋」~国境間について、一旦撤去され、そののち、現ナムトック終点まで再敷設されたようです。また、国境付近では、一部復旧された泰緬鉄道の線路を見ることができます。
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