読経中の水の行方
今朝日曜日、いつものルーティンだとカオマイキャウにバードウォッチングに行くのが常ですが、このところ連日のカオマイキャウなのと、日曜日はちょっと人が多くなるので、今朝は散歩に切替え。
まだ朝早いので、ソイブアカオ市場は通りに面したところだけが営業中で、その通り際でタンブン中。草履が脱ぎ捨ててあります、、、まあタンブン中は素足なのですが、ゴム草履をみると、「ちょっと堕落しているな」と見えてしまいます。
こちらはタンブンをしようと待っているところ。
いつもの風景です。読経中に水をコップからお椀に流しています。
よく見る風景ですが、今日は、「この水はどうなるのだろう?」とふと興味がわいて、連続写真。
普通に考えれば、ありがたい読経の最中に水を移し替えることにより、水に読経の声がしみ込み、ありがたい聖水になる、、と思うわけです。
まず、水の出所です。
青いプラスチック箱の上に、お椀とコップのセットが載っています。
水は右わきのバケツから汲むようです。
驚いたのは、水の行方。
今までは、
++ 薬代わりに飲む
++ 自宅に持ち帰って仏壇に供える
のどちらかだと思っていましたが、脇の樹木の根元にかけています。
そしてコップとお椀をもとのところに戻して完了、、、それでおしまいです。
タイ語学校に通っていたころは、このような日常の問題を先生に聞いていましたが、今は尋ねる人もいなく、、、、疑問として残ってしまいました。
でも、こういった日常の作法みたいなものは、タイ人もあまり考えずに繰り返していることなので、聞いても当方がちゃんと理解できる説明はされないのですけど。
++++++++++補足
① 葬儀などでも同じように行うようです。そして水はやはり樹木の根に注ぐそうです。
② 瀉瓶・写瓶 シャビョウという儀式のようです。
師から弟子へ仏の教えの奥義(おうぎ)をあますところなく伝授すること、とのこと。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。