タイランド湾を見て暮らす・パタヤコージーライフ

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戦後の泰緬鉄道

 緬鉄道が終戦でどうなったかは不明でしたが、FBを見ていると、終戦後数か月は旧日本軍の手により運行していたようです。


 泰緬鉄道はイギリスの思惑で撤去が決定され、その撤去作業は日本軍捕虜によって行われたようですし、ビルマ方面からの復員もこの鉄道で行われたのかもしれません。


 以下の写真は1945年9月26日に起きた土砂崩れによる鉄道転覆事故のものです。


 タイ語記事を読むともともと沢部を土砂で埋めた盛土構造だったようで、雨で山側排水が追い付かなくなり、盛土が崩壊したとあります。
 現場は20日間で仮橋梁が設置れたとのこと。最初の写真の右側にC5620いう機関車番号が見えます。この車両は戦後、どうなったかは不明であるとのこと。

復旧橋ができても転覆した機関車が放置されているという奇妙な写真
写真を拡大するとC5620という車両番号が見えます

盛土崩壊直後の写真?


 崩れた土砂に木の幹も見えますので、雨による土砂崩れの後のようではありますが、転覆したという汽車はどこ?


 線路が線形的に繋がらないように見え、この写真を30分以上眺めましたが、よくわからないの一言。