タイランド湾を見て暮らす・パタヤコージーライフ

Pattayaでのリタイヤライフです。旅行/日常生活/ゴルフ/鳥見/タイ語学習

島根県になっていた鳥取県

 アユタヤへの往路帰路、北森鴻の「邪馬台」を読んだわけですが、島根県境に近い鳥取県
の山間の村が、鳥取県が島根県から分離独立する前後で、忽然と地上から無くなった、、、と
いう設定で物語がスタートします。


 明治維新後、一旦、島根は松江県から島根県になり、鳥取は鳥取県になりましたが、
明治9年に鳥取県は島根県に合併され、明治14年に再分割されるまで5年間、鳥取県は日本の行政区分から消えていました。 


 物語の中では、鳥取が島根に吸収合併された際の不合理について述べられています。
・鳥取は江戸時代鳥取藩32万石であり、島根は松江藩18万6千石で鳥取>島根であった。
・江戸末、鳥取藩は尊王攘夷の旗のもと新政府樹立側に組したのに対し、
 松江藩は親藩大名であり、どっちつかずの態度をとった。
 論功行賞的には松江県/島根県が吸収される側と考えるのが当然。
・県庁組織が島根に集約されたため、学校、病院等の施設が全て島根に設立され、
人々も島根に移住するなどして、合併の5年間、鳥取県民は苦渋の生活だった。
 

 偶然なのですが、SNSに明治13年の日本の県別人口が投稿されていました。
 島根県が第12位ですが、これは上記のように鳥取県域を併呑していたからです。


 石川県が県別第1位です。富山福井の名前がないので、これらを包含していたようです。
 新潟は単純に穀倉地帯である新潟平野を要し農村人口が多かった、、、からのようです。


 東京が17位というのは、ちょっと理由がよくわかりません、、、
 江戸幕府が崩壊して人口が急減したということでしょうか。 


 「邪馬台」は北森鴻の遺作であり、別の小説家が遺作を取りまとめ書き継いだからか、
島根による鳥取併合、鳥取分離独立は単なる話題提供で、小説のプロットにはほとんど
関係ないものとなっています。
 北森鴻自らの手で取りまとめていたら、何らかの解釈が加わったのかもしれません。