タイランド湾を見て暮らす・パタヤコージーライフ

Pattayaでのリタイヤライフです。旅行/日常生活/ゴルフ/鳥見/タイ語学習

メナム川

 寛政五年(1793年)、メナム川にてイスパニアによる朱印船焼き討ちがあり、「メナム河事件」と呼ばれるているそうです。


 一瞬、メナム川ってなんだよ、、、と思ったわけですが、バンコク市内を流れるチャオプラヤ川のことでした。


 タイ語だと、メー・ナムで、原義的にいえば、母+水になります。一般に、タイだと、川の名前の冒頭にメーをつけます。必ずしも「母」という意味にはならず、単に「川」という意味ですが、このメー・ナムの場合は、タイの北部、中部を貫流する最大の川なので、「水の母」という意味もあるのかもしれません。


 高校等で使われる帝国書院の世界地図では、
(1) メナム川・・・昭和49年発行のものまで
(2) メナム川(チャオプラヤ)・・・昭和50年~昭和61年まで
(3) チャオプラヤ川(メナム)・・・昭和62年~平成9年まで
(4) チャオプラヤ川・・・平成10年以降
 だったようで、どういう名前で習ったかによって、世代が分かるようです、、、


 ちなみに今、ホテル検疫をしているホテルは、チャオプラヤ川から1200m、今ではビルが立て込んで見えませんが、30年前だったら川面が見えそうなところに建っています。


 冒頭の朱印船焼き討ち事件ですが、徳川政権が発行した朱印状を持つ朱印船が焼き討ちされ、あまつさえ朱印状が奪われたこの事件により、「武威」で成り立つ徳川政権の外交政策が変更されたとのこと。
 
 武威で成り立っている政権なので、本来であればタイまで遠征してイスパニアと一戦交えるべきだったのでしょうが、幸い、この件を知っているのごくわずか、仮に外征して負けてしまったら江戸幕府の武威は傷つき、天下泰平の江戸時代は訪れなかったであろう、、、と。対外的にはイスパニアに攻めてこられるかもしれず、徳川政権が「弱い」と知れば諸大名が蜂起するかもしれず、、、。
 ちなみに、江戸末期の攘夷運動も、できもしないであろう外国打ち払いを徳川政権に要求し、できなかったことで徳川政権の武威は損なわれ、明治維新になっています。


 そして、対外貿易による利益は江戸幕府に大きな富をもたらしていましたが、朱印船貿易を続けることにより武威が傷つく可能性が少しでもあるのであれば、それはやめて、中国船なりオランダ船に貿易をさせればいいではないかというようになったのだと。