タイランド湾を見て暮らす・パタヤコージーライフ

Pattayaでのリタイヤライフです。旅行/日常生活/ゴルフ/鳥見/タイ語学習

泰緬鉄道のブログ記事

泰緬鉄道(ムラゴンブログ全体)
  • 下田中将への死後叙勲

     タイとビルマを結ぶ泰緬鉄道。  完成間近の鉄道路線の視察に向かった下田陸軍中将が鉄道沿線で撃墜.    叙勲の手続きは外立中将という人と同時。同じ撃墜事故で亡くなったのか、別途なのか不明ながら、戦死とありますし中将クラスがそう軽々に戦地で亡くなることはないでしょうから、撃墜された飛行機に同乗して... 続きをみる

    nice! 4
  • 朝から国際協力

     タイ人の泰緬鉄道のグループで、日本語が読めないので応援頼むとの投稿があり、微力ながら協力したもの  内容から察すると、クワイ川鉄橋が連合軍の爆撃を受けたことによる応急策、本復旧策を論じた資料のようです the original) 上図の如く橋梁そのものを爆撃困難なる地点選定しその前後の取付路盤は... 続きをみる

    nice! 6
  • 泰緬鉄道メークーロン橋

    タイ人のFBから写真等を借用 泰緬鉄道メークーロン橋 爆撃を受けたのち、応急橋梁時代が5年ほどあったようです 爆撃を受けたのちの写真です 従前は橋脚が2基中間にあって、橋桁は3つありました。 時代推移を勘案すると、戦後、応急橋梁を掛ける直前のもののように考えられます。  手前の曲線形状の2つは従来... 続きをみる

    nice! 6
  • 戦後の泰緬鉄道

     緬鉄道が終戦でどうなったかは不明でしたが、FBを見ていると、終戦後数か月は旧日本軍の手により運行していたようです。  泰緬鉄道はイギリスの思惑で撤去が決定され、その撤去作業は日本軍捕虜によって行われたようですし、ビルマ方面からの復員もこの鉄道で行われたのかもしれません。  以下の写真は1945年... 続きをみる

    nice! 7
  • 泰緬鉄道建設の歌

     泰緬鉄道は、タイのノンブラドックとビルマのタンザビヤを結ぶ全長400km余の路線で、昭和17年6月から翌年10月までの工期を費やして完成しました。  1番の歌詞は軍歌的な様相、いかにも戦時下的な内容  2番で「爆撃なんぞ」とありまた「死の建設」となっていて様相一片  3番で「身をば挺するつわもの... 続きをみる

    nice! 4
  • 戦場に架ける橋は二つあった 個人的決着

     数年前からの個人的懸案であった「戦場に架ける橋」に結論が出たようなので以下に取りまとめます。  タイとビルマを繋ぐ泰緬鉄道は日本軍の戦略を実現する上で重要な鉄道でした。  写真は戦場に架ける橋、いわゆるクワイ川橋の写真ですが、最初この写真を見て??だったのが、右手に架かる橋は現在でも観光名所にな... 続きをみる

    nice! 10
  • 日本人は忘れているけれども

     12/7は太平洋戦争の開戦日です。  日本だと真珠湾攻撃しか話題になりませんが、同日、日本軍はタイに上陸、タイ人側に数十名の死者が出て、その後、タイは日本の半ば占領下に。  半ばというのは、軍事力をして日本軍のタイ国内での移動/駐屯/タイ人徴用などを黙認させているからです。タイ側としても日本軍の... 続きをみる

    nice! 11
  • 泰緬鉄道の連結

     タイ人のFBグループนักสำรวจเส้นทางรถไฟสายมรณะ Thai-Burma railway explorer group (TBREG)に参加しています。  これはタイ人の手で、消えゆく泰緬鉄道の有形無形遺産を記録していこうというグループです。  現地踏査や写真等記録、諸人の... 続きをみる

    nice! 7
  • モンブリッジ近くの泰緬鉄道

     タイ西部カンチャナブリ県の山奥、ビルマ国境の湖に架かるモンブリッジ。  湖の名前はカオレム湖。人造湖です。  実はこのカオレム湖の下には泰緬鉄道が沈んでいます。  日本軍の手によって作られた泰緬鉄道は、終戦後、日本人捕虜の手で撤去されました、  ただ、盛土や切土はそのまま残っており、今でもたどれ... 続きをみる

    nice! 9
  • 泰緬鉄道C5631

     『歴史的な機関車C-5631は、日本人が維持することを光栄に思う貴重で価値のある宝物です。』  以下、タイ人フェイスブックから抄訳  泰緬鉄道の始発列車をけん引した蒸気機関車です。  終戦後、タイに引き渡され、1977年までタイ国鉄で使用されました。  1979年、泰緬鉄道の建設に携わった人たち... 続きをみる

    nice! 12
  • 泰緬鉄道の縦断勾配

     泰緬鉄道の計画は英国で作られましたが、泰緬鉄道ができると英国支配のシンガポールの航路経由地としての国際的地位が低下することもあり、英国はこの計画を採用しなかったといわれています。  日本軍がタイに進駐に、英国支配下のビルマ(現ミャンマー)に侵攻し、その補給路を確保するため、英国の計画を引き継いで... 続きをみる

    nice! 9